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札幌地方裁判所 昭和46年(ワ)1199号 判決 1973年3月27日

原告 平向浩成 外二名

被告 国

代理人 宮村素之 外三名

主文

一  被告は原告に対し金三六八万円および内金三三五万円に対する昭和四六年五月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その二を原告、その余を被告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り原告が金一〇〇万円の担保を立てたときは仮に執行することができる。

事  実<省略>

理由

一  事故の発生

原告が札幌市立大通小学校三年に在学中の昭和四六年五月二日札幌市中央区北三条西八丁目北海道大学農学部附属植物園に入園し、同園の檻内で飼育管理されているひぐま(通称「コロ」、当時一九才、雄)を観覧中、午後四時ころ右「コロ」に右手指に噛みつかれ、右腕を檻内に引き込まれて右上腕部を咬切断されたことは、当事者間に争いがない。

原告が人止め柵を乗り越えて檻に近づきその中に指の一部を差し入れて「コロ」に食物を与えようとしたことは当事者間に争いがなく、この事実および(証拠省略)を総合すると、次の事実が認められる。

原告は昭和四六年五月二日の午前中に訴外堀田紀夫(当時一三才)を最年長者とする友人四名と一緒に前記植物園に行き、鬼ごつこなどして遊んでいるうち午後四時前ころ、右友人達と「コロ」の檻の前に来た。「コロ」に餌を与えるべく、最初はポツプコーン等を柵外から投げ檻の天井から落していたが、右檻の金網に当つて金網と柵の間に落ちて散乱しているポツプコーン等をみてこれを「コロ」に与えようと考え、柵を乗り越えて柵内に入り、落ちていたポツプコーン等を拾つて右と同様の方法で檻内に投げ入れていたが、そのうち直接「コロ」の口に与えたくなり、それも最初のうちは餌を乗せた右手掌の小指側の側面を金網につけて金網内に転がし込むようにし、更には、餌を乗せた右手を金網と直角にして、且つ指先を下げて餌を転がし込むようにしていたが思うようにならなかつたため遂にはそのままの状態で檻前面の金網の網目から親指以外の四指を檻の中に差し入れてポツプコーン等を直接「コロ」の口中へ転がし込むようにしていたところ、右「コロ」に小指、環指および中指にかみつかれた。

(中略)

二  被告の責任

(証拠省略)によると、一般的にひぐまは通常三、四才で成熟して体長が約二・五メートル、体重が約一五〇キロに達し、三才以降は人畜に危害を与える性癖のある危険な動物であり、特に北海道産のひぐまは世界の熊属のうちで最もどう猛性が強いものであり、生後間もなくの時期から餌つけをしても人に馴れるのは一〇%程度に止まり、食物に対しては異常な関心を示し、食物などを示していらだたせると狂暴になることが認められる。

このように強度の危険性を有するひぐまを多数の来客が予想される場所において飼育管理し、これら来客の縦覧の用に供するに際しては、後記認定のように巡視の措置がとられてはいたが常時監視し得る状態になかつた以上その縦覧施設につき人止め柵を高くし或は柵と檻との間に堀を設けるなどして容易に一般観覧者が檻に近づけないようにするか、檻に近付けたとしても観覧者の手指等が直接「コロ」に触れないような構造にするなど万全の措置を講ずるべきである。(証拠省略)によると、植物園は札幌市の中心部に位置し、原告の通学している小学校でも、親などの監督者が同伴しなくても子供達だけで遊びに行くことが許されている場所で、原告らも遊び場のようにしていたことが認められる。このような事実と、本件熊の檻が設置されていた植物園が本来動物の観覧を主たる目的とし、年少者については通常保護者が同伴している動物園と異ることを考えると動物園などに比して入園した年少児童が檻内の熊に親近感を抱き、或は危険な行動に出るおそれが強いことが予想されるのであり、その危険を防止するためには、右縦覧施設の設置管理につき一層の配慮が必要と考えられる。

ところで、「コロ」が本件事故当時一九才であつたことは前判示のとおりであり、また(証拠省略)によると「コロ」は体重が二八六キロ、体長が二・二二メートル、肩高が一・一二メートル、手掌の長さが一五センチ、その幅が一六センチであることが認められる。

そこで、右「コロ」の縦覧施設の設置、管理の状況についてみるに、当事者間に争いがない事実並びに(証拠省略)を総合すると、(1)本件檻は昭和一二年に設置されたものでコンクリートの土台の上に構築されており、その高さは二・一五メートル、奥行は約六メートル、間口は約九・五メートルでその中央において東西に二個の檻に分けられ、各檻の後部の壁のくぐり穴を通つて各辺二・一五メートル、二・四五メートルの寝室となつており、その後部は全部か、側面及び天井は一部が、いずれもコンクリート壁となつており、檻の前面、側面のその余の部分及び天井の前方部分にはアングルを骨格としてその間に直径約二・五センチメートルの鉄棒をほぼ一二センチメートル間隔で立て、更に天井部を除いて右鉄棒の外側三、四センチメートルの所に太さ五ミリメートルの針金で作つた菱型金網(対角線の内法縦五センチメートル、横八センチメートルのもの)が張つてあること(2)その結果「コロ」の鼻、口唇、舌および爪の一部が右金網の外に出るにすぎず、門歯は更に鼻部先端より約四・五センチメートルのところにあるため、観覧者が右檻に近づいてもその肢体の一部を檻内に入れない限り「コロ」に危害を加えられることはないこと(3)右金網は昭和三六年に張り替えられたが、その際後記柵も全面的に改修されたこと、(4)右檻の前方約一メートルないし一メートル一〇センチメートルの所には丸太の杭を打ち込み、上部を横板で固定し、その下部には金網を張りめぐらせた高さ約一メートルの柵が設置してあり、その結果成人が右柵外から手を伸ばしても指先は右檻に届かないこと、(5)なお、右柵は檻の東南端の前方一メートル一〇センチメートルの所で北東方向に屈折し(この部分の高さは八四センチメートルから約一メートルである。)、更に檻の東南端より東方向に三・二五メートルの地点で檻と平行して北の方に折れ、三・六メートル延びて(この部分の高さは約八五センチメートルないし九〇センチメートルである。)根元付近の直径約一メートルの大木のほぼ中心に固定されていること、(6)また右柵に接続して北方に高さ約一・五メートルの金網(各辺の長さがほぼ六センチメートルの菱型のもので上辺と下辺にはそれより太い針金が一本通してある。)が三・八メートル延び、右大木および丸太に釘打ちされ、その北端の丸太より西方に高さ約一・六メートルの右と同様の金網が三・一メートルに亘つて張つてあり、その西端と檻の間には高さ約一メートルのトタン板が張つてあること、(7)右檻の前面の柵の西側については、それとアイヌ博物館の間は右と同様の柵および板塀で遮断され、また右柵の内側の職員通用口には有刺鉄線が張つてあつたこと、(8)檻の前面の人止め柵内には「危険柵の中に入らぬこと」と記載した立札が少くとも二ヶ所に立てられていたこと、(9)開園中は四人の守衛が二人ずつ二交替制で大体一時間毎に園内を巡視し、また本件檻の両側にある二個の博物館の職員も随時監視しており警備員が本件事故前の午後三時四〇分頃に巡視したことの各事実が認められ、(証拠省略)中右認定に反する記載部分はその余の前掲各証拠に照らしてたやすく措信できず、他には右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定の事実にもとづいて判断すると、縦覧者は右柵または金網などを乗り越えない限り「コロ」の檻に近づくことができず、また柵の外にあつて檻に手指を触れることもできないよう配慮されてはいたけれども、その柵は右高さからして年少者においても比較的容易にこれを乗り越えて檻に接近することができる状態にあつたものということができる。

そして、一旦これを乗り越えて本件檻に接近するとその手指を右檻の前面に張られた金網の菱型の穴から檻内に挿入して「コロ」に触れることも容易であつたものと判断される。また、柵を越えることを禁ずる趣旨の立札が設けられていたことは当事者間に争いがないが、(証拠省略)によると右立札に記載されている文言(用字)、大きさ、体裁の点からして、その判読の容易性、目につき易さなどの点において本来年少者に対する事故防止の方法としては必ずしも十分なものとは認め難い。さらに、開園中巡視の措置がとられていたことは認められるものの常時監視して緊急事態を未然に防止しうる状態にはなかつたものと認められる。そして、本件「コロ」の縦覧施設が前判示のとおり多数の年少児童の親しく訪れる植物園内に存することを併せ考えると、結局右施設の設置管理に瑕疵があつたというべきであり、前記認定の本件事故発生の状況からすると本件事故が右瑕疵によることは明らかである。

もつとも、(証拠省略)によると、本件「コロ」の縦覧施設は他の動物園等におけるひぐまのそれに比して必ずしも劣悪なものではなく、むしろこれより劣るものも多いことが認められるが、そうであるとしてもこれをもつて本件「コロ」の檻の設置管理に瑕疵がなかつたということはできない。

そして、右縦覧施設は公の営造物であることが明らかであるので、被告は国家賠償法二条一項にもとずいて「コロ」の加害行為によつて原告が蒙つた後記損害を賠償しなければならない。

三  原告の過失

前記「事故の発生」の項で認定した本件事故発生時の原告の行動と、「被告の責任」の項で認定した本件「コロ」の檻の構造および事故当時原告は小学校三年生であつて柵を越えて「コロ」の檻に近付くことが禁じられていること、いわんや檻の中に手指を差し入れることが危険であることを認識し判断し得る能力を十分具備していたものと考えられることを併せ判断すると、本件事故の発生については原告にもまた過失があつたものというべく、かつ、事故発生の原因としては相当重大なものといわねばならない。よつて原告の右過失は後記損害額の算定に当つて当然斟酌されるべきである。

四  損害

(一)  逸失利益

(証拠省略)によると、原告は本件事故当時、心身ともに健康な満八才の男子であつて、統計上認められる平均余命(第一二回生命表参照)は約六一年であるから少くとも原告主張の満一八才から満六三才まで四五年間は労働に従事して収入を得ることが可能であると認められる。また、昭和四四年賃金センサス第一表(企業規模一〇~九九人)によると、男子労働者の年間平均収入は、原告主張の七一万九五〇〇円を下廻ることはないものと認められる。そして、原告が右上腕を、肩関節部を残してそのすぐ下から喪失したことは後記認定のとおりであるところ、その結果原告について生じた労働能力の喪失率は、労働基準法施行規則の別表「労働能力喪失率表」および自賠法施行令別表等級表等を参照し、原告が本件事故当時年少者であつて今後の職業選択、職業訓練等により身体的欠陥を或程度克服し、これに適合した職業に就くことが期待できることを考慮すると、原告の労働能力喪失率は六〇パーセントをもつて相当と認められる。

したがつて、右期間の労働能力の喪失を原告に生じた逸失利益として評価し、これから民事法定利率年五分の割合による中間利息を年毎のライプニツツ式計算法によつて控除すると、

719500円×60/100×10911737=4710596円(円未満切捨て)となる。

ところで、原告には前判示のとおり本件事故の発生につき過失があるから、これを斟酌すると、被告に支払いを命ずべき逸失利益の額は二三五万円を相当とする。

(二)  義手代

原告は義手代として合計七八万五四〇〇円の損害を蒙つた旨主張するけれども、その耐用年数、単価などについて何ら立証しないのでこれを認めることができず、右主張は理由がない。

(三)  慰籍料

原告が本件事故後直ちに前記伊藤整形外科病院に入院して、右上腕部を肩峯から五センチメートルの箇所で切断する手術を受け、その後同病院を退院して北大病院に入院し、同年七月二六日まで治療を受けたことおよびその後も引続き義手装着のため北大病院に通院して肩関節の機能訓練を受けたことは当事者間に争いがなく、(証拠省略)によると、原告は右伊藤整形外科病院で同年五月三一日まで入院治療を受け、翌六月一日に右北大病院に入院したこと、右北大病院に通院したのは昭和四七年二月頃までであること、原告は将来とも義手の装着、更新および断端形成手術等を要し、そのために肉体的にも経済的にも苦痛を受けるものと認められるほか、日常の起居動作に多大の不便を蒙つていることが認められる。更に進学、就職、結婚等にも不利益を受けることは顕著な事実である。右原告の受傷の部位、程度、入院および退院の経過、原告の前示過失の程度その他諸般の事情を考慮すると、原告に対する慰籍料額は一〇〇万円が相当である。

(四)  右認定のとおり、原告は被告に対し三三五万円を請求し得るものであるところ、原告法定代理人平向澄子尋問の結果および弁論全趣旨によれば被告は右賠償額について任意の弁済に応じないので、原告は弁護士中島一郎に本件訴訟の提起および追行を委任し、将来勝訴のときは認容額の一割を報酬謝金として支払う旨を約したことが認められるが、本件事案の内容、審理の経過、認容すべき損害額など一切の事情を斟酌すると、本件事故と相当因果関係のある損害として被告が原告に支払うべき弁護士費用は三三万円が相当である。

五  結局、原告の本訴請求中被告に対し、金三六八万円および内金三三五万円に対する本件事件発生日である昭和四六年五月二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、各適用し、仮執行免脱宣言の申立については相当でないのでこれを却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 川上正俊 大田黒昔生 北山元章)

別表

年令

耐用年数

必要義手数

単価

8~11

1年

4

29,200

116,800

12~14

1年6月

2

58,400

15~17

2年

11/2

32,400

48,600

18~69

3年

171/3

561,600

合計

245/6

785,400

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